ボクたちのあの頃はだいたいが黒歴史

30代の人間が20代を思い出して書く小説

2話:彼は"果てしない物語"をシャウトする

2013年頃のインスタはもう少し無法地帯だったように思う。

 

自分の好きなものの写真を片っ端から投稿するから、ホームはドン・キホーテみたいに雑多な見た目になる。そのなかの数枚に趣味の合うものがあれば相互フォローも今より気軽にできた。

 

もちろん統一感のある洗練された写真をアップしている人もいたけど、そういう素敵なグラマーさんも含めてみんな平等だったというか。コメントが集まる側の人とコメントを送る側の人の距離が近かった。

 

かくいう私と彼も、そんな雑多な時代のインスタで出会った。

 

2013年にワンオクがリリース『人生×僕=』のCDを、23歳の私は仕事帰りにフラゲした。

 

まだ東京ではなく群馬で働いていた時期だ。

 

都会に比べて広大な土地を確保でき、駐車場が建物よりも広い田舎のショッピングモールに寄り道していた。

 

3月の夜はまだ冷え込む。

 

愛車ラパンの隣に立つ私は、松本恵奈に憧れて購入したEMODAの黒いコートに着られていた。

 

オレンジ色の街灯に照らされる”目玉ジャケ”を無造作に手に持ったまま写真に収める。

 

ちょうどインスタを始めたばかりだった私のフォロワー数はそのとき2人とか。どちらも何目的で私をフォローしたのか分らないようなタイプの人だった。

 

影響力のなさすぎるユーザーの投稿でも、「ワンオク」「フラゲ」とパワーワードな並べば、それなりに目に止まるようだ。

 

すぐに"いいね"の通知が表示されては消え、その数を増やしていった。

 

そのなかに彼ー田窪祐樹(たくぼゆうき)もいた。

 

OORer(ワンオクロッカーの略:ワンオクのファンのこと)にはTAKAを真似たファッションをする人も多かったけど、彼は顔や体型もそっくりで、すでにその界隈ではちょっとした有名人だった。

 

まさかそんな人に"いいね"される日が来るなんて。FacebookでもTwitterでもぱっとしないユーザーだった私に初めてスポットライトが当たった瞬間だった。

 

急速なインスタの成長と、TAKAがジャニーズを飛び出してワンオクを作ってくれたことに心の底から感謝した。

 

彼に"いいね"を返すと、今度は速攻でフォローされたので、私も速攻でフォローした。

 

インスタにのめり込むまで、そう時間はかからなかった。

 

 

彼との別れは、熱海旅行の帰りだった。

 

3度目の復縁を果たした3ヶ月後、彼からようやくプロポーズの言葉を引き出したのも束の間。

そのまた1週間後に、今度は熱海の町中華で静かに言い合った。

 

「俺はやっぱり、生魚とビールを一緒に楽しめる人がよかったな」

 

駅のホームにいた彼はあっという間に遠ざかる。33歳になった私は彼のセリフを思い出した。

 

私は生魚の美味しさがわからない。ビールも3口飲んだだけで酔っ払って気分が悪くなってしまう。こればかりはどうしても克服できない。

 

だけどきっと、それだけじゃないんだ。

 

人生を共にサバイブするには、私は、すぐに破ける金魚すくいのアレよりも頼りない。

 

スマホのSpotifyはワンオクの『Ending Story??』を表示した。

 

渋谷のカラオケ館で彼のシャウトが耳の奥でよみがえる。曲よりもマイクの音量大きめ、エコー効かせすぎ、なちょっと残念な設定が彼の定番だった。